九月の末に、滋賀県甲賀(こうが)市の「甲賀の里(さと) 忍術村」に行ってきました!好天に恵まれて、楽しかったです!
忍者と言えば、皆さんはアニメ「ナルト 疾風伝」を思い出すでしょう。私もそうです、そもそも「忍者」という言葉もそこから覚えました。
現在でも、甲賀の山奥(やまおく)に忍者が住んでいるという…(←ウソです)。歴史上、忍者は実在しました。
日本忍者協議会の公式サイトにより、忍者は史料上確実に存在が確認できるのは、南北朝時代(1336〜1392)以後だそうです。忍びは、乱波(らっぱ)・透波(すっぱ)・草(くさ)・奪口(だっこう)・かまりなど、地方によって、さまざまな名前で呼ばれていました。忍者(にんじゃ)という呼び名が定着したのは昭和30年代になってからのことです。戦国時代の忍びの仕事は、敵国への侵入、放火、破壊、情報収集などでありその中で最も重要なのは敵方の状況を主君に伝えることであることから、できるだけ戦闘を避け、生き延びて戻ってくる必要があったそうです。
忍者は日本国内各地に、いくつかの集団を形成していたそうです。文献上にその名が見られる忍術流派は71流もあるという説があります。中でも甲賀(滋賀県)や伊賀(三重県)を本拠地としていた忍者集団は有名です。これらの場所には多数の忍者屋敷があり、日々の訓練が行われていたと考えられます。私が行った甲賀の忍術村にも忍者屋敷があって、なんとそれは実際に使われていたそうです。数年前に、屋敷全体をいったん分解して、この村に運んできて建て直したそうです。この忍者屋敷にはドンデンかえしなど多くのカラクリがあります。一見何の変哲もない古い農家のように見えますが、敵が踏み込んできたときのために、思いがけないところに武器が隠してあったり、秘密の抜け道や、つり階段、隠し戸などがあります。実際に忍者屋敷を体験したら、忍者たちの知恵に感心しました!
次に甲賀忍術博物館を見学しました。忍者の資料では世界で一番の資料数を誇っているそうです。忍者の服装から、武器、道具、薬までを展示しています。イメージでは、忍者は全身黒い服を着ていますが、それは間違いです。忍者は現代の言葉でいうとスパイですね、ですからバレてはいけないです。その為、普通の農民たちと同じ服=野良着(のらぎ)などを着ていたそうです。武器は手裏剣、苦無(くない)など以外に、鎌もあります。なぜかというと、鎌は日本の農具で一般的に入手が容易な刃物(はもの)で、農民として行動する際に携帯していても不自然ではないからです。また、手裏剣は卍型(まんじがた)、十字型など、いろんな種類があって、重いので、携帯した数は3、4枚しかなかったそうです。手裏剣道場で手裏剣投げ(しゅりけんなげ)も実際に体験しました!8枚投げましたが、3枚しか的(まと)に当たらなかったです。。。重いので、すぐに下に落ちるからですね。
以上は、私の忍術村旅でした!ちなみに、女性の忍者はなんというのか、皆さんわかりますか?くノ一(くのいち)です!「女」という漢字を分解すれば、ひらがなの「く」、カタカナの「ノ」、漢字の「一」、つまりくノ一になります。
参考:https://ninja-official.com/whats-ninja
忍者と言えば、皆さんはアニメ「ナルト 疾風伝」を思い出すでしょう。私もそうです、そもそも「忍者」という言葉もそこから覚えました。
現在でも、甲賀の山奥(やまおく)に忍者が住んでいるという…(←ウソです)。歴史上、忍者は実在しました。
日本忍者協議会の公式サイトにより、忍者は史料上確実に存在が確認できるのは、南北朝時代(1336〜1392)以後だそうです。忍びは、乱波(らっぱ)・透波(すっぱ)・草(くさ)・奪口(だっこう)・かまりなど、地方によって、さまざまな名前で呼ばれていました。忍者(にんじゃ)という呼び名が定着したのは昭和30年代になってからのことです。戦国時代の忍びの仕事は、敵国への侵入、放火、破壊、情報収集などでありその中で最も重要なのは敵方の状況を主君に伝えることであることから、できるだけ戦闘を避け、生き延びて戻ってくる必要があったそうです。
忍者は日本国内各地に、いくつかの集団を形成していたそうです。文献上にその名が見られる忍術流派は71流もあるという説があります。中でも甲賀(滋賀県)や伊賀(三重県)を本拠地としていた忍者集団は有名です。これらの場所には多数の忍者屋敷があり、日々の訓練が行われていたと考えられます。私が行った甲賀の忍術村にも忍者屋敷があって、なんとそれは実際に使われていたそうです。数年前に、屋敷全体をいったん分解して、この村に運んできて建て直したそうです。この忍者屋敷にはドンデンかえしなど多くのカラクリがあります。一見何の変哲もない古い農家のように見えますが、敵が踏み込んできたときのために、思いがけないところに武器が隠してあったり、秘密の抜け道や、つり階段、隠し戸などがあります。実際に忍者屋敷を体験したら、忍者たちの知恵に感心しました!
次に甲賀忍術博物館を見学しました。忍者の資料では世界で一番の資料数を誇っているそうです。忍者の服装から、武器、道具、薬までを展示しています。イメージでは、忍者は全身黒い服を着ていますが、それは間違いです。忍者は現代の言葉でいうとスパイですね、ですからバレてはいけないです。その為、普通の農民たちと同じ服=野良着(のらぎ)などを着ていたそうです。武器は手裏剣、苦無(くない)など以外に、鎌もあります。なぜかというと、鎌は日本の農具で一般的に入手が容易な刃物(はもの)で、農民として行動する際に携帯していても不自然ではないからです。また、手裏剣は卍型(まんじがた)、十字型など、いろんな種類があって、重いので、携帯した数は3、4枚しかなかったそうです。手裏剣道場で手裏剣投げ(しゅりけんなげ)も実際に体験しました!8枚投げましたが、3枚しか的(まと)に当たらなかったです。。。重いので、すぐに下に落ちるからですね。
以上は、私の忍術村旅でした!ちなみに、女性の忍者はなんというのか、皆さんわかりますか?くノ一(くのいち)です!「女」という漢字を分解すれば、ひらがなの「く」、カタカナの「ノ」、漢字の「一」、つまりくノ一になります。
参考:https://ninja-official.com/whats-ninja