Chn-146 日本の和菓子〜よく見られる季節限定〜(日式传统点心〜随处可见的季节限定〜)
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みなさんは日本の和菓子が好きですか?

私はその見た目が好きになったんです(笑)

豊富な色と巧みなデザインは和菓子の特徴だと思います。

留学生活で季節の変わりにより、色々な和菓子が食べられるのは楽しい。

普段に店舗、スーパーで購入する和菓子もあるが、京都、奈良、和歌山など遊びに行く時にお寺で持ち出される和菓子は少し違う感じがしますね。

では、日本伝統文化と繋がる和菓子の由来と種類などを一緒に見ていきましょう。

和菓子と言えば、餅菓子、羊羹、饅頭、最中、落雁、煎餅などが含ます。

洋菓子と比べて油脂や香辛料、乳製品を使うことが少なく、米・麦などの穀類、小豆・大豆などの豆類、葛粉などのデンプン、および砂糖を主原料としたものが多いのが特徴である。特に豆類を加工して作る餡が重要な要素となるものが多い。

一般的に緑茶に合わせることを想定して作られており、日常的な茶請け菓子として親しまれているだけでなく、茶の湯との関係も深い。

その他各種の年中行事や慶弔事における引き出物などにも用いられる。

四季との結びつきが強いことも特徴の一つで、特に上生菓子(じょうなまがし)と呼ばれる上等な生菓子では、各種の製法を駆使し、味だけでなく視覚的な美しさが豊かな季節感をもって表現されています。

和菓子の原型は、推古天皇の頃、600年代より遣隋使を派遣し、中国大陸との交流を始めたことにより整えられていった。
文武天皇の治世の704年には、遣唐使の粟田真人によって、唐から唐果子(からくだもの)8種と果餅14種の唐菓子が日本にもたらされた。この中には油で揚げて作るものもあり、これはそれまでの日本にはなかった菓子の製法であった。これらの菓子は祭神用として尊ばれ、現在でも熱田神宮や春日大社、八坂神社などの神餞としてその形を残している。
奈良時代の754年には鑑真によって砂糖や蜂蜜が、平安初期の806年には空海によって煎餅の製法が伝えられた。

鎌倉時代には、宋から茶苗を持ち帰った栄西によって茶の栽培と普及が進められて喫茶文化が広まったことにより。点心の一つとしての菓子作りも発達していった。

室町時代にはポルトガル、スペイン、オランダの宣教師たちにより、カステラ、ボーロ、金平糖、カルメラといったいわゆる南蛮菓子がもたらされ、小麦粉や砂糖を使ったこれらの菓子は和菓子の製法と発展にも大きな影響を与えた。その後、江戸時代には鎖国体制が敷かれたため菓子の発展にもいったん歯止めをかけることになるが、一方でそれまで貴重品であった砂糖の輸入も増え、また平和が続いたこともあって独自に製菓技術が発達していき、江戸で武家や庶民に親しまれた江戸菓子、京都のみやびな京菓子がその形を整えていった。また参勤交代制度によって各地の街道が整備されたことでひとびとの行き来や情報交流が盛んになり、各地の銘菓・名物菓子が知られるようになった。このようにして江戸時代には現在の和菓子のほとんどが形作られた。

明治時代になると、開国とともに西洋の文化が押し寄せ、チョコレートやビスケット、ケーキ、キャンディーといった洋菓子が日本に次々と導入されていった。現代の日本では多様な菓子が並立する時代となっている。

菓子には様々な分類方法があるが、日本では保存性の観点から、まず水分の含有量に基づき生菓子、干菓子および半生菓子に大別することが一般的になっている。

四季との関わりが深いことは和菓子の特徴の一つである。和菓子の中には特定の季節に限定して売り出されるものがあり、また特に上生菓子では、菓子自体によって季節の風物が表現され、それぞれの菓子に見合った銘がつけられている。そのほか雛菓子、盆菓子など特定の年中行事で供え物にしたり、食したりするものもある。これらの和菓子のいくつかは季語としても扱われている。

例えば、

新春ーー鏡餅、菱葩餅、干支菓子など

春季ーー桜餅、椿餅、鶯餅、蓬餅、花見団子、雛菓子(ひなあられ、菱餅、引千切、草餅)など

夏季ーー柏餅、ちまき、若あゆ、水無月、葛切り、水羊羹、水饅頭、麩饅頭など

秋季ーーおはぎ、月見団子、栗蒸し羊羹、栗饅頭など

冬季ーー亥の子餅、お火焚饅頭、千歳飴など

こんなにたくさんありますね(笑)。

今は五月の初め頃で、間もなく五月五日「端午の節句」を迎えています。和菓子の名舗「虎屋」は節句限定の柏餅と粽を販売しています。暇があれば食べて見ましょう!

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大家喜欢日本的和式点心吗?我一看到外观就被吸引了(笑)。我想,丰富的颜色和精巧的造型大概是和式点心的特征吧。

在留学生活中,随着季节变化能够吃到各种各样的和式点心是很开心的。平时在店铺、超市就可以买到和式点心,不过去京都、奈良、和歌山等地方旅游的时候,在寺院待客处吃到的和式点心好像稍微又有点不一样诶。

那么我们来看一下和日本传统文化息息相关的和式点心的由来和种类吧。

说起和式点心,通常会想到餅果子(糯米点心)、羊羹、馒头、最中(一般是豆沙馅儿的脆皮点心,皮是糯米做的,吃起来像冰激凌筒的皮)、落雁(带馅儿的硬点心)、煎饼(类似旺旺仙贝)等等。和西式点心比起来,较少使用油脂、香料和乳制品,大多使用米、麦等谷物,小豆、大豆等豆类,葛粉等淀粉,以及砂糖做原料是和式点心的特征。大多情况下尤其是用豆类做的馅儿是其重要的要素。通常是以配合绿茶来吃为前提来制作的,不仅是作为日常生活中的茶点被大家熟悉,和茶的渊源也很深厚。另外,也被用在各种节日或是喜事、丧事的招待品等等。

和四季的关联紧密也是其特征之一,尤其是被称为¨上生果子¨的上等生果子,通过各种制法来表现不仅是味道上的,还有丰富视觉美感的季节感。

和式点心的原型是在推古天皇时期,公元600多年的时候通过派遣遣隋使,开始和中国大陆交流而逐渐形成的。文武天皇的治世704年,遣唐使粟田真人从唐朝带回来8种唐果子和14种果餅等唐朝点心。其中有油炸制作的点心,这是日本从来没有见过的点心制法。这些点心作为祭神用品而被推崇,直到现在还在热田神宫、春日大社、八坂神社等地作为神饯而保留。奈良时代754年鉴真带回来砂糖和蜂蜜,平安初期806年空海带回来煎饼的制法。

镰仓时代,荣西从宋朝带回来茶苗,推进了茶的种植和普及,以及饮茶文化的流行。点心制作作为搭配也开始发起来。

室町时代,葡萄牙、西班牙、荷兰的传教士们带来了长崎蛋糕、乳球酥、金平糖、轻目烧等所谓的南蛮点心。这些点心使用小麦粉和砂糖,给和式点心的制法和发展带来了很大的影响。在这之后,由于江户时代实施锁国体制,点心的发展也暂时告一段落。不过由于当时的奢侈品砂糖的进口有所增长,以及和平的持续,独自的点心制作技术不断发展,在江户武家和庶民所熟知的江户果子、京都优雅的京果子等在这个时期成型。另外,由于参勤交代制度各地的街道设施都有所完善,人们的来往和信息交流变得繁荣,各地的铭果・名物果子被广泛熟知。因此在江户时代,现在的和式点心基本成型。

到了明治时代,伴随着开国而来的是西方文化的大量涌入,巧克力、饼干、蛋糕、糖果等西式点心开始渐渐传入日本。现在的日本是多样的点心并立的时代。

点心有各种各样的分类方法,在日本从保存性的角度来看,通常首先根据水分含量大致分为生果子、干果子和半生果子。

和四季密切相关是和式点心的一大特征。在和式点心之中有的在特定季节发售,尤其是上等生果子,点心本身就会表现出季节特色,每个点心都会有相应的含义。另外雛菓子、盆菓子等在特定的年节日作为供品或食品的情况也存在。这些和式点心有很多也作为季语来使用。

比如、

新春ーー镜餅、菱葩餅、干支菓子等

春季ーー樱餅、椿餅、莺餅、蓬餅、花见团子、雛菓子(雛霰、菱餅、引千切、草餅)等

夏季ーー柏餅、粽子、若鮎、水无月、葛切、水羊羹、水馒头、麩馒头など

秋季ーー牡丹饼、月见团子、栗蒸羊羹、栗馒头等

冬季ーー亥子餅、火焚馒头、千岁饴等

居然有这么多呢(笑)。

现在是五月初,不久就是5月5日端午节了。和式点心的名店「虎屋」会发售节日限定的柏餅和粽子。有时间的话就尝一尝吧!


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